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by boochan-kb
| 2012-09-12 01:50
| 神社・寺・お城
6月23日は被災した東松島の叔母さん宅へ。
でも直接行くのではなくて、被災地を巡りながら行きました。
いとこから、一度は見ておいた方がいいよ、と言われていながらなかなか実現せず、あっという間に1年3ヶ月。
被災地を見ておくこと・・・今回仙台に滞在した最大の目的でした。
宮城野区の叔母さんといとこと3人で、まずは仙台東部有料道路を使って仙台東から亘理へ南下。
この道路があったおかげで、内陸側の被害がかなり抑えられたとのことで、道路の右側と左側では、全く景色が違いました。
途中、この時運転してくれた叔母さんの働く会社のそばを通り過ぎたのですが、この道路から近いのにびっくり。(内陸側)
そして、その反対側はみごとに何も無いのにびっくり。
東部道路が無かったら、叔母さんもどうなっていたか分かりません。
亘理で降りた後は、海岸寄りの道を北上していきました。
亘理町から名取市へ。仙台空港の脇を通り、閖上小学校、若林区の荒浜と車を走らせました。
震災後にこんなに海岸寄りを走ったのは叔母さん達も初めてだったそうで、変わり果てた風景に、愕然としていました。
その後一気に東松島へ。
実は東松島の叔母さん宅へ行くのは初めてで。
被災の状況はいろいろ聞いてはいたものの、実際に見て話を聞くと、また違った感があります。
「この高さまで浸水して・・・」とか
「ここでこんな生活してた・・・」とか
「そこの空き地は瓦礫の山で、あんなことやこんなことがあった・・・」とか etc.
叔母さん宅は海岸から2.3km。
5軒先からは、海岸までなーんにもないスケルトン状態で、よく流されなかったものだと思います。
絶妙なタイミングで家から逃げられなかったからこそ助かり、2日後に消防隊員に救助された叔母夫婦ですが(強運!)、また同じような津波が来たら、今度は家はダメだろうなぁ・・・と言っていました。
家は残ったけど、いまだに2階で生活していて、いつになったら1階で生活できるようになるのか分からない状態です。どうやら内装業者の動きが遅いようで・・・。
同じような悩みの家が、たくさんあるんだろうなぁ。
家の中を隅々まで見せてもらい、一息ついた後は、東松島の叔母さんも加わって4人で石巻へ。
被災地に住み続けている人ならではの、ここにはとても書けないリアルな話を聞きながら、240号線から女川街道へ。
港小学校の前を通り、石ノ森萬画館の横を通り過ぎ、数多くの人が避難した、日和山へ向かいました。
日和山公園は桜の名所でもあり、石巻市を一望できます。
一番上には「鹿島御児神社」があり、まずは参拝に。
その後、展望ポイントへ。そこには震災以前の写真があって、今の状況と見比べられるようになっています。
眺めていると、次から次へと団体さんがやってきました。
被災地を巡る観光バスがあるようで、案内役の方が色んな説明をしてる脇で、ひそかに一緒に聞かせていただきました。
驚いたのは、この案内役、地元の皆さんがボランティアでやっているそうなのです。
なんか、こう・・・上手く説明出来ないのですが、凄いなと思いました。
東北人の静かなパワーってやつでしょうか・・・。
震災後、新幹線がようやく再開通した時、やはり母が叔母達とここへ来ているのですが、その時は、任務を終えた看護団や消防団の方々が黙祷を捧げている場に居合わせたそうです。
知り合いには復興ボランティアで東北に通った人がいます。
それが自分の意志であろうとなかろうと、行動していることそのものに、本当に頭が下がります。
では、自分には何が出来るのだろうか・・・またもや考えてしまいました。
そして、石ノ森萬画館のある中州側と太平洋側、先ほど通ってきた道を上から確認して、下を走っているだけでは分からない状況を目に焼き付けて、仙台へ帰ってきました。
あっという間で、とても濃い一日でした・・・。
写真はこちらで → 仙台から被災地へ
☆☆☆
車を運転してくれた叔母さんやいとこは、直接の知り合いで亡くなった人がいないので、こうして被災地に入ることができたけど(それでも車からは降りなかった)、叔父さんは被災地の話題すら拒否でした。
なぜならよく知る人が何人も亡くなっているから。
同じ仙台の人でも、知り合いを亡くしている人と、そうでない人とでは、被災地に対しての思いに大きな違いがあることを思い知らされました。
言うのは簡単だ、と言われそうだけど、助かった人達の心が1日も早く癒されるように、願わずにはいられません。
さらに・・・
この被災地の記録を書くまでに、随分と時間がかかってしまいました。
帰ってきてから自分の中でうまく消化できず、何をどう書けばよいのか分からない、書きたいけど書けない状態で。
私の中では震災と自分の引越しがワンセットになっていて(震災の次の日に契約、その2日後に引越し)、震災のことを考えると、もれなく引越しとその後の大変だった日々の記憶がよみがえるので、なかなか文章にすることが出来ませんでした。
もう1年半過ぎたのに今でもまだ、えもいわれぬ不安な感情が宙ぶらりんのまま・・・という事実に、自分にダメだししたくなったりして。
被災地の方々の大変さに比べたら、全く大したことのうちに入らないけれど、自分の中では強烈に記憶に残るしんどい日々だったのです。
自分なりに被災地を見ること、それを書くこと。
これをしてやっと次へ進める・・・と、何故か分からないけどずっと思っていました。
見たこと感じたことの全てを書けたわけではないけれど、やっと小さくて大きな一区切りになりそうです・・・。
ここまで読んでくれてありがとう。
仙台滞在記は、つづく
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でも直接行くのではなくて、被災地を巡りながら行きました。
いとこから、一度は見ておいた方がいいよ、と言われていながらなかなか実現せず、あっという間に1年3ヶ月。
被災地を見ておくこと・・・今回仙台に滞在した最大の目的でした。
宮城野区の叔母さんといとこと3人で、まずは仙台東部有料道路を使って仙台東から亘理へ南下。
この道路があったおかげで、内陸側の被害がかなり抑えられたとのことで、道路の右側と左側では、全く景色が違いました。
途中、この時運転してくれた叔母さんの働く会社のそばを通り過ぎたのですが、この道路から近いのにびっくり。(内陸側)
そして、その反対側はみごとに何も無いのにびっくり。
東部道路が無かったら、叔母さんもどうなっていたか分かりません。
亘理で降りた後は、海岸寄りの道を北上していきました。
亘理町から名取市へ。仙台空港の脇を通り、閖上小学校、若林区の荒浜と車を走らせました。
震災後にこんなに海岸寄りを走ったのは叔母さん達も初めてだったそうで、変わり果てた風景に、愕然としていました。
その後一気に東松島へ。
実は東松島の叔母さん宅へ行くのは初めてで。
被災の状況はいろいろ聞いてはいたものの、実際に見て話を聞くと、また違った感があります。
「この高さまで浸水して・・・」とか
「ここでこんな生活してた・・・」とか
「そこの空き地は瓦礫の山で、あんなことやこんなことがあった・・・」とか etc.
叔母さん宅は海岸から2.3km。
5軒先からは、海岸までなーんにもないスケルトン状態で、よく流されなかったものだと思います。
絶妙なタイミングで家から逃げられなかったからこそ助かり、2日後に消防隊員に救助された叔母夫婦ですが(強運!)、また同じような津波が来たら、今度は家はダメだろうなぁ・・・と言っていました。
家は残ったけど、いまだに2階で生活していて、いつになったら1階で生活できるようになるのか分からない状態です。どうやら内装業者の動きが遅いようで・・・。
同じような悩みの家が、たくさんあるんだろうなぁ。
家の中を隅々まで見せてもらい、一息ついた後は、東松島の叔母さんも加わって4人で石巻へ。
被災地に住み続けている人ならではの、ここにはとても書けないリアルな話を聞きながら、240号線から女川街道へ。
港小学校の前を通り、石ノ森萬画館の横を通り過ぎ、数多くの人が避難した、日和山へ向かいました。
日和山公園は桜の名所でもあり、石巻市を一望できます。
一番上には「鹿島御児神社」があり、まずは参拝に。
その後、展望ポイントへ。そこには震災以前の写真があって、今の状況と見比べられるようになっています。
眺めていると、次から次へと団体さんがやってきました。
被災地を巡る観光バスがあるようで、案内役の方が色んな説明をしてる脇で、ひそかに一緒に聞かせていただきました。
驚いたのは、この案内役、地元の皆さんがボランティアでやっているそうなのです。
なんか、こう・・・上手く説明出来ないのですが、凄いなと思いました。
東北人の静かなパワーってやつでしょうか・・・。
震災後、新幹線がようやく再開通した時、やはり母が叔母達とここへ来ているのですが、その時は、任務を終えた看護団や消防団の方々が黙祷を捧げている場に居合わせたそうです。
知り合いには復興ボランティアで東北に通った人がいます。
それが自分の意志であろうとなかろうと、行動していることそのものに、本当に頭が下がります。
では、自分には何が出来るのだろうか・・・またもや考えてしまいました。
そして、石ノ森萬画館のある中州側と太平洋側、先ほど通ってきた道を上から確認して、下を走っているだけでは分からない状況を目に焼き付けて、仙台へ帰ってきました。
あっという間で、とても濃い一日でした・・・。
写真はこちらで → 仙台から被災地へ
☆☆☆
車を運転してくれた叔母さんやいとこは、直接の知り合いで亡くなった人がいないので、こうして被災地に入ることができたけど(それでも車からは降りなかった)、叔父さんは被災地の話題すら拒否でした。
なぜならよく知る人が何人も亡くなっているから。
同じ仙台の人でも、知り合いを亡くしている人と、そうでない人とでは、被災地に対しての思いに大きな違いがあることを思い知らされました。
言うのは簡単だ、と言われそうだけど、助かった人達の心が1日も早く癒されるように、願わずにはいられません。
さらに・・・
この被災地の記録を書くまでに、随分と時間がかかってしまいました。
帰ってきてから自分の中でうまく消化できず、何をどう書けばよいのか分からない、書きたいけど書けない状態で。
私の中では震災と自分の引越しがワンセットになっていて(震災の次の日に契約、その2日後に引越し)、震災のことを考えると、もれなく引越しとその後の大変だった日々の記憶がよみがえるので、なかなか文章にすることが出来ませんでした。
もう1年半過ぎたのに今でもまだ、えもいわれぬ不安な感情が宙ぶらりんのまま・・・という事実に、自分にダメだししたくなったりして。
被災地の方々の大変さに比べたら、全く大したことのうちに入らないけれど、自分の中では強烈に記憶に残るしんどい日々だったのです。
自分なりに被災地を見ること、それを書くこと。
これをしてやっと次へ進める・・・と、何故か分からないけどずっと思っていました。
見たこと感じたことの全てを書けたわけではないけれど、やっと小さくて大きな一区切りになりそうです・・・。
ここまで読んでくれてありがとう。
仙台滞在記は、つづく
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by boochan-kb
| 2012-09-10 23:45
| できごと
チャリティコンサートの休憩中に、近くの『榴岡天満宮』へお参りしてきました。
昔この近所にいとこ達が住んでいて、受験前にお参りにきたというこの天満宮。
私は受験するわけではないけれど(笑)、せっかく近くまで来たのでご挨拶に。
途中に出会った、かなり大きなキンキラなオブジェ。う〜ん、これは人か?動物か?
狛犬は、向かって右が「吽」さん。
左が「阿」さん。ガハハな感じ。ゴーカイ!
本殿前の、右が「吽」さん
左が「阿」さん。なんだかカワイイ。
本殿はこんな状態。地震で修復が必要な神社はいったいどのくらいあるのだろうか。
天神さまにつきものの牛、”撫で牛”。もちろんナデナデしてきました〜。
榴岡天満宮 → http://tutujigaoka.org/
仙台には25日までいたのですが、この後、流れでたくさんの神社へ行くこととなり、それはそれは濃い3泊4日となったのでした。
つづく
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昔この近所にいとこ達が住んでいて、受験前にお参りにきたというこの天満宮。
私は受験するわけではないけれど(笑)、せっかく近くまで来たのでご挨拶に。
途中に出会った、かなり大きなキンキラなオブジェ。う〜ん、これは人か?動物か?
狛犬は、向かって右が「吽」さん。
左が「阿」さん。ガハハな感じ。ゴーカイ!
本殿前の、右が「吽」さん
左が「阿」さん。なんだかカワイイ。
本殿はこんな状態。地震で修復が必要な神社はいったいどのくらいあるのだろうか。
天神さまにつきものの牛、”撫で牛”。もちろんナデナデしてきました〜。
榴岡天満宮 → http://tutujigaoka.org/
仙台には25日までいたのですが、この後、流れでたくさんの神社へ行くこととなり、それはそれは濃い3泊4日となったのでした。
つづく
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by boochan-kb
| 2012-09-03 21:11
| 神社・寺・お城
ずいぶんとご無沙汰してしまいました。
6月末に仙台へ。そして8月はこれまた仙台やいろんな所に行ったのですが、なかなかアップするに至らず、写真ばかりたまる一方・・・(汗)
体力的にも気持ち的にも余裕が出てきたので、忘れないように少しずつアップしていこうと思いまーす。
まず6月22日。
仙台サンプラザホールにて、ジョイントのチャリティコンサートのお仕事でした。
震災後、初めての仙台。
震災以来ずっと、東北でチャリティー関係の何か出来ないかなぁ・・・と思い続けていたら、このチャリティーコンサートのお仕事を戴いたのでした。有り難いことです。
うちの親戚のほとんどが仙台に居て、中でも東松島の叔母が被災したこともあって、早いところ一度来ておきたかったのですが、昨年はタイミングが合わず・・・。
やっと来ることが出来ました!
今回の編成は、管が6人入ってコンダクターのいる、総勢13人バンド。
弦中心のバンドとはまた違ったサウンドで、新鮮でした!
休憩中には、近所の天満宮へお散歩してきました〜。
つづく
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6月末に仙台へ。そして8月はこれまた仙台やいろんな所に行ったのですが、なかなかアップするに至らず、写真ばかりたまる一方・・・(汗)
体力的にも気持ち的にも余裕が出てきたので、忘れないように少しずつアップしていこうと思いまーす。
まず6月22日。
仙台サンプラザホールにて、ジョイントのチャリティコンサートのお仕事でした。
震災後、初めての仙台。
震災以来ずっと、東北でチャリティー関係の何か出来ないかなぁ・・・と思い続けていたら、このチャリティーコンサートのお仕事を戴いたのでした。有り難いことです。
うちの親戚のほとんどが仙台に居て、中でも東松島の叔母が被災したこともあって、早いところ一度来ておきたかったのですが、昨年はタイミングが合わず・・・。
やっと来ることが出来ました!
今回の編成は、管が6人入ってコンダクターのいる、総勢13人バンド。
弦中心のバンドとはまた違ったサウンドで、新鮮でした!
休憩中には、近所の天満宮へお散歩してきました〜。
つづく
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by boochan-kb
| 2012-09-03 21:10
| 音楽
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by boochan-kb
| 2012-08-03 15:00
| 旅